朗読時間 47分
CD枚数 1枚組
鎌倉時代前期、1212年、鴨長明が58歳の時に書き始められました。
仏教的無常観を主題に、鴨長明が体験した壮絶な人生や、
五つの厄災など、自分の人生を振り返り描かれています。
古典日本三大随筆の一つであり、日本中世文学の代表的作品でもあり、
ひらがなの和文と漢字の漢文が混ざって書かれた文章和漢混交文の代表的な作品でもある、
素晴らしい作品です。
鴨長明は、下鴨神社の正禰宜の次男として生まれ、比較的恵まれた環境で育っていました。
しかし鴨長明が18歳の時、父が急死してしまいました。
母はその前に亡くなっていて、みなしごとして生きていくことになりました。
その後も鴨長明は相続争いに敗れるなど、不運が続きました。
父方の祖母の家を継ぐ立場で妻子が居た事もあったようですが、30歳頃に離別
してしまい、それからはずっと一人で暮らしていました。
そんな不運続きな鴨長明の生きがいは音楽と和歌でした。
若い頃から中原有安に琵琶を学び、和歌は俊恵に師事して才能を磨きます。
歌合への参加、千載和歌集への採用など、徐々に長明の和歌は評価されていきました。
47歳の時には後鳥羽院に才能を認められ、和歌所の寄人に抜擢されます!
しかし、後鳥羽院が厚意で長明の父の跡を継がせようと図ったところ、親族に邪魔されてしまいます。
この出来事から間もなく、長明は出家します。
その後質素な方丈庵での暮らしや人生、※無常観について方丈記に書いていきます。
※無常観とは
世のすべてのものは常に移り変わり、いつまでも同じものは無いという意味です。
方丈記の名前の由来
小さな庵で、一辺が一丈(約三メートル)の方形だったことから”方丈”と名付けました。
鴨長明が終の棲家とし、そこで執筆しました。
この方丈庵で執筆したことが、”方丈記”の由来となっているようです。
災害文学でもある方丈記
鴨長明が体験した厄災が細かく記されている方丈記ですが、
地震で言うと、揺れの様子、山の崩れ、津波、町の被害や余震の回数など、
事細かに書かれているものは珍しく(書いている人は居たが現在に至ってまで残されていない)、
災害ルポルタージュとしての側面も持っている作品として災害文学とも言われています。
地震について詳しく書かれていることから、
東日本大震災の後再び注目される事になった方丈記ですが、
現在では、方丈記や、その他の災害文学、石版などを参考にして
次の災害に備える準備などもしているそうです。
日本は1000年以上前から揺れていたのですね。
震災だけでは無く、古典を理解して、耳を傾けることによって、
先人の残したものや、思いを大切にしていきたいとおもいました。
過去に学ぶことの大切さが分かる良い作品です
天災・飢饉
安元の大火
安元3年4月28日(1177年5月27日)午後8時頃、
都の東南で舞人の宿屋の火の不始末が原因で出火し、
瞬く間に火は都の西北に向かって燃え広がり、
朱雀門・大極殿・大学寮・民部省などが一夜のうちに灰燼に帰した。
治承の竜巻
治承4年(1180年)4月、中御門大路と東京極大路の交差点付近で、
大きな竜巻が発生し、家財家具、すべての物をのみ込み宙を舞った。
養和の飢饉
養和年間(1181-82年)2年間にわたって飢饉があり多くの死者が出た。
旱魃、大風、洪水が続いて作物が実らず、朝廷は様々な加持祈祷を試みたが甲斐なく、
諸物価は高騰し、さらに翌年には疫病が人々を襲った。
元暦の地震
元暦2年7月9日(1185年8月6日)、大きな地震が都を襲った。
出典Wikipediaより