朗読時間 138分
CD枚数 2枚組
日本最古の能楽論、演劇論
室町時代から現代まで歌舞伎よりも遥かに長い約650年もの歴史を持つ伝統文化で、
風姿花伝は全7編で構成されています。
父の観阿弥の教えを基本に、能の心得や歴史、修行方法、
演技演出論などを世阿弥の解釈で表した理論書であり、
日本最古の能論、演劇論でもある。
翻訳も海外でされていて研究がされています。
世阿弥についてなどは下記にて公開中
世阿弥と能
正平18年/貞治2年(1363年)生まれと言われていますが歴史的裏付けはありません。
父の観阿弥は大和国の興福寺、
春日神社やその近隣国の神事能に奉仕する大和猿楽四座の結崎座の一員でした。
江戸時代までは猿楽(さるがく)と言われていて、明治以降から狂言・能楽と総称されるようになりました。
世阿弥が生まれた頃は能は※田楽よりも低く見られており、恵まれた環境にいませんでした。
幼名は鬼夜叉といい、少年時代に摂政関白太政大臣・二条良基
に目を掛けられ保護されていたため、地位が低い当時の能楽師ながら連歌を習い、
多くの教養を身につけることが出来ました。
※田植えの神事で伴奏に合わせて踊る芸能文化
1370年の半ばに観阿弥が今熊野観音寺で行った能楽興行に当時12歳であった世阿弥が出演、
この舞台を観ていた室町幕府3代将軍・足利義満の目に留まり、
世阿弥親子は将軍に認められて世に出ました。
1384年、父の観阿弥が他界し、世阿弥は観世太夫となり跡を継ぐことになります。
1394年に義満が死去、跡を継いだ4代義持の時代に世阿弥は、
能の理論書である風姿花伝を執筆。
室町時代に世阿弥が登場したことによって猿楽は、
大衆芸能から日本を代表する古典芸能・能楽へと変貌し不変の評価を得るようになったのです。
権力によって楽頭職解任
能の世界を極めようとする世阿弥でしたが、
4代将軍義持は能よりも田楽を好み、
田楽法師・増阿弥を後援し世阿弥を遠ざけるようになってしまいました。
その後に、6代義教の治世になると今度は世阿弥の甥にあたる音阿弥が人気を博し、
義教もこれを嫌がり、世阿弥とその息子・元雅に圧力をかけ能の世界から追い出そうとします。
世阿弥は1422年に観世太夫の座を元雅に譲り、
世阿弥は出家して圧力を避けようとしますが、1429年に仙洞御所への出入り禁止、
さらには1430年には醍醐寺清滝宮の楽頭職解任と、
地位、名誉、興行権も奪われ、収入も奪われました。
都落ちした世阿弥親子は1432年に伊勢国で何者かに刺され元雅が死去、
世阿弥も1434年に佐渡島へ流罪となりました。
その後、世阿弥は京都へ戻ったのちに補厳寺に帰依し、
嘉吉3年にこの世を去ってしまいました。
日本最古の能楽論、演劇論
室町時代から現代まで歌舞伎よりも遥かに長い約650年もの歴史を持つ伝統文化で、
風姿花伝は全7編で構成されています。
父の観阿弥の教えを基本に、能の心得や歴史、修行方法、
演技演出論などを世阿弥の解釈で表した理論書であり、
日本最古の能論、演劇論でもある。
翻訳も海外でされて居て研究がされています。
世阿弥の残した言葉
風姿花伝と言えば、能論、演劇論でもありますが、
教訓も詰め込まれた人生の指南書としても見所が沢山あります。
その中の有名な名言をチラッとご紹介します。
「初心忘るるべからず」
「秘すれば花」
「家、家にあらず。継ぐを似て家とす」
「住たるなきをまず花と知るべし」
どうでしょうか?皆さん聞いたことありますよね?
訳はあえて載せないでおきます。
どの言葉も昔に書かれたとは思えないほど現代の人にも当てはまるので、
ぜひ調べて見てください。
英語が好きな方はこちらもおすすめです。
William Scott Wilson訳「The Flowering Spirit」
英語ならではの言い回しがまた良い感じです。
英語の勉強しながら日本のことが学べるのでおすすめです。