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枕草子 1000px

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枕草子

著者 清少納言

朗読 松宮森乃

朗読時間 636分
CD枚数 10枚組

¥5500円

枕草子とは?

枕草子とは
清少納言が中宮定子に仕えていた平安時代中期に描かれた随筆です。
文章は平仮名を中心とした和文、短編が多いのが特徴です。
自然や、宮中での出来事などさまざまな事を独自の視点で書き綴られています。
「これは素敵」、「こんなことは嫌だ」など、平安時代では珍しく、
自分の考えをはっきりと発信する清少納言の姿は現代の私たちと似てるかもしれません。

同じ頃に中宮彰子に仕えていた紫式部が『源氏物語』を執筆しており、
比較されることもあったみたいです。

枕草子、清少納言については下記で公開中!

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清少納言とその家族
三大随筆の一つにもなっている「枕草子」の著者、
清少納言の知性は、彼女の生まれ育った家庭環境が育てたものでした。
まず、父親の父親の清原元輔(きよはらのもとすけ)は有名な歌人でした。
日本最古の「万葉集」の解説を天皇の命を受けおこなったり、
『後撰和歌集』の編纂などをおこなっていたすごいお父さんでした。
そしてまだまだすごいのが、曽祖父は『古今和歌集』の代表的歌人、
清原深養父(きよはらのふかやぶ)だったのです!
父や曽祖父と同様に清少納言も歌を詠み、
中古三十六歌仙、女房三十六歌仙のひとりに選ばるなど、幼い頃から
才能を発揮していました。
42首の歌が収められた『清少納言集』も作られています。
このように清少納言は幼い頃から文学が身近にあった幸運な子供でした。

清少納言はペンネーム
貴族の本名は家族のみ知るそうで、清少納言の本名は明かされていません。


随筆とは
随筆とは、見聞きしたことや心に浮かんだ事などを、気ままに自由な形式で書いた文章・作品。


枕草子と同様な形式を持った古典の「徒然草」。
鎌倉時代に書かれた「徒然草」には、枕草子をお手本としていることが、
書かれているのです!!!
つまり、中世にはすでに枕草子は模倣すべき古典だったと言うわけです!

清少納言は上記でも紹介したとおり、和歌の名門の生まれです。
その才能が認められ、28歳の時に宮中で女房となり、后である定子様に仕える事になります。
通常であれば10代から女房として仕える中、28歳の清少納言は恥ずかしく思い、初めのうちは引きこもりがちだったといいます。
当時后たちは天皇にアピールするためサロンをつくっていました。
サロンとは、知的である事をアピールし自分の元に来るとこんなに楽しいことが溢れていますよとアピールするための場のことです。

定子様が文学好きだったこともあり、多彩な表現をする清少納言を特に気に入りました。
宮仕えし3年が経った頃、定子様は子供を授かりますが、父である藤原道隆が病死してしまいます。
そして左大臣だった道長が天皇の位を狙い、定子様の兄たちを次々に罪人として逮捕し、
あげく城は火事になり、定子もみすぼらしい屋敷に追いやられることになってしまいます。

そんな悲劇の中、定子様のサロンの中で清少納言は道長のスパイなのでは無いかと噂が流れてしまいます。
その当時付き合っていたのが疑われてしまった原因と言われています。
清少納言には避難が殺到し、このままでは定子様に迷惑がかかると思い実家に引きこもってしまいます。

清少納言が居なくなり、次第に孤立していく一方で道長の勢力は拡大していきます。
定子様に従えていた女房たちも天皇に嫁いだ道長の娘のサロンに鞍替えしてしまいます。
その中に紫式部がいました。

ある日に定子様は清少納言に真っ白な紙を送ります。
その心遣いに感動した清少納言は辛く、孤独な定子様を元気づけるため、ある日に託されたお願いをかなえるため筆を握ります。
清少納言は定子様に、

”御らんじあはせて のたまわせ いとうれし”
(サロンで皆と話をする際、いつも私と目を合わせて話してくださりとても嬉しかったです)

と送りました。
すると定子様から小さな包み紙が届きます。
その中には、山吹の花びらに一言。

”言わで思ふぞ”
(決して口には出さないけれど、あなたのことを心から想っています。)

と。
定子様には私のことが必要だと確信した清少納言は定子様の元に戻る決心をします。
定子様の元に戻り、三度目のお産の後、24歳という若さで定子様は亡くなります。

定子様を失った清少納言は再び宮中を離れ、かつて定子様に送った手紙を作品として捧げようと「枕草子」を数ヶ月で完成させます。
その後、貴族達の間で読まれることになります。

清少納言の本名、いつ亡くなったのか、何歳までいきたのかなど謎は今でも多いままです。

枕草子の由来
あるとき、定子様が草紙の束をもって「何を書こうかしら?清少納言、良い案はありますか?」と聞いたそうです。
それを聞いた清少納言は草紙の束をみて、「枕にしたいですね」と答えたそうです。
その言葉を気に入った定子様は清少納言に「何か書きなさい」と草紙を渡したそうです。

その数年後に清少納言は家に引きこもってしまうことになりますが、定子さまから真っ白な草紙が送られてきてあの頃の
やりとりを覚えていてくれたんだと感動します。
このやりとりから、「枕草子」というタイトルがつけられることになったそうです。

素敵で面白い言葉だけを並べたのにはワケがあった。
枕草子、世間ではキラキラした清少納言の日常を綴られた物・・・として認識されている方も多いはず。
実際には、清少納言含め、従えていた定子様の不運、嫉妬、争いが宮中には入り乱れていました。
それなのに何故清少納言はキラキラとした詩を綴ったのでしょうか。

それには、定子様に対する心遣い、思惑がありました。
定子様は決して、不運などでは無かったと綴ることによって世間に定子様が不運で無いと思わせようとしたのです。
その思惑は見事に成功し、今でも読み継がれています。


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原文

春はあけぼの。
やうやうしろくなりゆく山ぎは、
すこしあかりて、
紫だちたる雲のほそくたなびきたる。

現代語訳

春はなんと言っても、
ほのぼのと夜が明けるときが素敵。
だんだんとあたりが白くなってきて、
山のすぐ上の空がほんのりと明るくなってきて、
淡い紫に染まった雲が細くたなびいている様子が良い感じです。

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原文

夏は夜。
月の頃はさらなり、
闇もなほ、
蛍のおほく飛びちがひたる。
また、
ただ一つ二つなど、
ほのかにうち光りて行くも、
をかし。
雨など降るも、
をかし。

現代語訳

夏は夜が素敵です。
月が出ていればもちろん、真っ暗な夜に蛍が沢山飛び交っているようすが
素敵です。でも、ほのかに光っているのも良いです。
夏に降る雨もまた良いですよね。

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原文

秋は夕暮れ。
夕日のさして、
山の端いと近くなりたるに、
烏(からす)の、
寝所(ねどころ)へ行くとて、
三つ四つ、二つ三つなど、
飛び急ぐさへ、
あはれなり。
まいて、雁(かり)などのつらねたるが、
いと小さく見ゆるは、
いとをかし。
日入りはてて、
風の音、虫の音など、
はた、
言ふべきにあらず。

現代語訳

秋は夕暮れが良いですね。
夕日が赤々としていて、沈もうとしている時、
カラスたちがお家に帰ろうと思い思いに急いで飛んでいる姿が、
心にしみじみと染みます。
そしてすっかり日は落ちた頃に、風の音や虫の鳴き声などが様々な音を
奏でているのを聴くと、言葉には表せないほど気持ちが心に詰まります。

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原文

冬は早朝(つとめて)。
雪の降りたるは、
言ふべきにもあらず。
霜のいと白きも、
またさらでも、
いと寒きに、
火など急ぎおこして、
炭持てわたるも、
いとつきづきし。
昼になりて、
ぬるくゆるびもていけば、
火桶(ひおけ)の火も、
白き灰がちになりて、
わろし。

現代語訳

冬は早朝が好きです。
雪が降り積もっているのはもちろん素敵です。
霧が辺り一面真っ白に現れる日も、霧がない日も素敵です。
張り詰めたように寒い朝に急いで炭に火をつけて部屋から部屋に運んで回る
のも、いかにも冬の朝らしくて好きです。
せっかく急いで着けた火も、お昼になるとだんだん寒さが緩み、火鉢の中の
炭火も白く灰をかぶってしまい間の抜けた感じがします。

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