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原本の姿をほぼそのままに、今でも読むことができる貴重な一作

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土佐日記

朗読 北斗誓一

朗読時間 63分
CD枚数 1枚組

¥3300円

あらすじ

土佐日記では紀貫之が土佐の守の任務を終え、京都に帰るまでの五十五日間の旅を記した旅日記です。
子供を亡くした悲しみなど、痛切な感情を表現するにもひらがなを使うことによって表現されています。

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65歳の元祖ネカマとも言われている紀貫之ですが女性のふりをして土佐日記を書くことで
後の文学の発展に大いに貢献していました。


紀貫之(きのつらゆき)

諸説ありますが、870年頃に生まれた下級貴族でした。
出身地は現在の京都、平安京です。

下級貴族に生まれた紀貫之ですが、政界での出世の見込みがなかったため、
歌人として道を開くことにしました。

約23歳の時に若くして寛平御時后宮歌合【かんぴょうのおんとききさいのみやのうたあわせ】
など大規模な歌合に参加しました。
その後醍醐天皇の命により作られることになった「古今和歌集」の選者の一人にまで上り詰めました。
さらに紀貫之は「古今和歌集仮名序」という序文を執筆するなど日本文学に影響を与えました。

歌人として超がつくほどの紀貫之でしたが、歌人だけでは食べていける事が出来ないので、
土佐守として土佐に赴任し歌人と土佐守をしていました。

その後も政界では生涯を通じて大きく出世することなく人生に幕を閉じました。

土佐日記とは平安時代の935年頃に紀貫之によって執筆されたものです。
その当時の日本は天皇親政から摂関政治へと移行し、
藤原氏による権力の独占が始まった頃となります。

土佐日記は日々起きたことが日記のような形で綴られており、
紀行文に似ていると言われています。
当時は男性用女性用に文字が分かれており、男性用は実用的な目的で漢文を使い、
出来事をメモする程度で、漢文は男性が公的な文章を書くためにつかわれていて、
個人的なことを記すのに向いていません。

一方女性用のもじは「女手(おんなで)」とよばれているひらがなでした。
男性も和歌などを書くときに使っていましたが、正式な表記は漢文でしたので滅多に使うことはありませんでした。
そこで紀貫之は型にはまった漢文の文章では微妙な心情を表現出来ないため女手を使い土佐日記を書くことにしました。
土佐日記のような自由な書き方に「文学」という新しい価値を物書きに与えることになりました。

土佐日記では紀貫之が土佐の守の任務を終え、京都に帰るまでの五十五日間の旅を記した旅日記です。
子供を亡くした悲しみなど、痛切な感情を表現するにもひらがなを使うことによって表現されています。

室町時代までは土佐日記の原本を見ることが出来たようですが、現在では所在が分からなくなってしったためありません。
しかし藤原定家らの写本が原典をそのまま写筆していることから、
『土佐日記』は原本の姿をほぼそのままに、今でも読むことができる貴重な一冊となっています。


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※タイトルクリックで作品ページ飛びます。

(原文)
男もすなる日記といふものを、
女とみてみむとてするなり。

(超現代語訳)
男もするという日記を、女の私も書いてみようと思います。




(原文)
それの年の十二月二十日あまり
一日の日の戌の刻に、門出す。
そのよし、いささかにものに書きつく。

(超現代語訳)
この年の12月21日の夜8時に家を出ました。
その折りに思いついたことを少しだけ書き留めておこうと思います。




(原文)
ある人、県の四年五年果てて、
例のことどもみなし終へて、
解由など取りて、

(超現代語訳)
ある人が国司の任期を終えて、色々な手続きを終わらせて、
辞令を受け取りました。




(原文)
住む館より出いでて、船に乗るべき所へ渡る。

(超現代語訳)
住んでいた館を出て、船乗り場に向かいました。




(原文)
かれこれ、知る知らぬ、送りす。

(超現代語訳)
知る人も知らない人もみんな彼を見送りにやってきました。





(原文)
年ごろよく比べつる人々なむ、
別れがたく思ひて、日しきりに、
とかくしつつ、
ののしるうちに、
夜更けぬ。

(超現代語訳)
この数年特に親しくしていた人は別れを惜しみました。
あれこれと嘆きながら夜があけていくのでした。




(原文)
二十二日に、
和泉の国までと、
平らかに願立つ。

(超現代語訳)
22日、和泉までどうか無事に着きますようにと願掛けをしました。




(原文)
藤原のときざね、
船路なれど、
馬のはなむけす。

(超現代語訳)
藤原のときざねと言う人が、
船旅なのに馬のはなむけをしてくれました。





(原文)
上中下、酔ゑひ飽きて、
いとあやしく、
潮海のほとりにて、あざれあへり。

(超現代語訳)
身分の上下に関係なく酔っ払ってしまって、
本当におかしな事ですが、
潮海だから塩で魚は腐ることないのに、
腐った魚のようにみんなでふざけ合っていました。




(原文)
二十三日。
八木のやすのりといふ人あり。

(超現代語訳)
23日、八木のやすのりという人がきました。




(原文)
この人、国に必ずしも言ひ使ふ者にもあらざなり。

(超現代語訳)
この人は国の使いの方ではないように見えるけど、




(原文)
これぞ、たたはしきやうにて、
馬のはなむけしたる。

(超現代語訳)
厳粛な様子で馬のはなむけをしてくれました。




(原文)
守柄にやあらむ、国人の心の常として、
「今は。」とて見えざなるを、
心ある者は、恥ぢずになむ来ける。

(超現代語訳)
職業柄なのでしょうか?
来る必要はないのに、心遣いが出来ている人なのでしょうか?




(原文)
これは、物によりて褒むるにしもあらず。

(超現代語訳)
しかし、贈り物で褒めるわけにもいきません。




(原文)
二十四日。
講師、馬のはなむけしに出でませり。

(超現代語訳)
24日。
講師までもが、うまのはなむけに来てくれました。




(原文)
ありとある上下、
童まで酔ひ痴しれて、
一文字をだに知らぬ者、
しが足は十文字に踏みてぞ遊ぶ。

(超現代語訳)
身分の上下に関係なく、
子供まで酔っ払っています。
1文字さえも知らない人が
10の文字を書くように遊んでいました。

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